東北学院中学校・高等学校

本校の沿革

三校祖

押川方義
W.E.ホーイ
D.B.シュネーダー

東北学院は仙台の地に歴史と伝統とを持つキリスト教主義(プロテスタント)の学校であります。明治初期の日本キリスト教界の指導者の一人であった押川方義、ならびにアメリカ東部にその本拠を持つドイツ改革派教会の宣教師W.E.ホーイの創設になり、1886(明治19)年「仙台神学校」として発足しました。

その後、1891(明治24)年、「東北学院」と改称し、第二代院長のD.B.シュネーダーの時代に現在の基礎が築かれ、第二次大戦後幼稚園、中学校、高等学校、大学ならびに大学院を持つ一貫教育の総合学園となりました。今や関東以北の私学の雄として全国にその名を知られております。

本校の卒業生数

2022年3月31日現在

  卒業生数 卒業式回数
中学校 15,408名 75回
高等学校 24,549名 74回
高等学校(第二部) 2,383名 34回
旧制 中学部(第二部) 160名 3回
旧制 中学部 5,819名 58回
合計 48,318名

沿革

1886(明治19)年
東北学院の前身「仙台神学校」が押川方義、ウイリアム・E・ホーイ両先生によって木町通りに創立された。
1891(明治24)年
南町通りに建築中の仙台神学校々舎完成、校名を「東北学院」と改称し初代院長押川先生、初代副院長にホーイ先生がそれぞれ就任された。
1893(明治26)年
「東北文学」を創刊した。
1895(明治28)年
普通科5年、その上に文科および理科の専修科を、更にその上に神学部を置いた。
1900(明治33)年
ホーイ先生、副院長を辞任され、中国湖南岳州で伝道。
1901(明治34)年
押川先生、院長を辞任され、デビット・B・シュネーダー先生が第二代院長に就任された。本院の徽章TG章もこの年に制定された。
1904(明治37)年
全校を二部に改組して普通科と専門科に分け、専門科に文学部と神学部を置いた。
1906(明治39)年
東二番町普通科校舎の落成式を挙行した。
1908(明治41)年
東北学院創立記念日を5月15日と定めた。
1910(明治43)年
校旗制定披露式を挙行した。
1916(大正5)年
奨学会が組織された。
1919(大正8)年
3月2日仙台市大火のため、中学部校舎が全焼した。
1921(大正10)年
校歌制定。
1922(大正11)年
中学部再築校舎が落成した。
1927(昭和2)年
ホーイ先生中国より日本に立ち寄られ、帰米の途中、太平洋にて病没された。
1928(昭和3)年
押川方義先生が永眠された。
1936(昭和11)年
この年東北学院創立記念式(50周年)を挙行した。シュネーダー院長の後を受けて出村悌三郎先生が第三代院長に就任された。
1938(昭和13)年
10月5日名誉院長シュネーダー先生が82歳で永眠された。
1941(昭和16)年
出村剛先生が高等学部長に就任され、中学部長には小泉要太郎先生が就任された。ミセス・シュネーダーが永眠された。
1945(昭和20)年
仙台市が空襲を受け、学院も諸施設に甚しい損害を被った。
1946(昭和21)年
出村剛先生が第四代院長に就任された。中学部長に月浦利雄先生就任。
1947(昭和22)年
新制中学校が設置された。
1948(昭和23)年
新制高等学部(3年制)同第二部(夜間4年制)を設置。校長に月浦利雄先生就任。
1949(昭和24)年
出村剛先生が永眠された。中学校木造校舎6教室が落成した。元院長出村悌三郎先生が永眠された。
1950(昭和25)年
アルフレッド・アンケニー先生が第五代院長に就任された。
1951(昭和26)年
アンケニー院長が永眠され第六代院長に小田忠夫先生が就任された。
中学校・高等学校理科教室(鉄筋コンクリート3階建)の建築が落成した。
1953(昭和28)年
中学校長に五十嵐正躬先生就任。
1954(昭和29)年
中学校・高等学校々舎3階建鉄筋コンクリート6教室の増築が落成した。
1955(昭和30)年
中学校・高等学校々舎3階建9教室の増築および体育館の建築が落成した。
創立70周年記念式を盛大に挙行した。
1958(昭和33)年
中学校・高等学校々舎4階建(図書および図画、音楽教室ならびに普通教室)の増築が落成した。
1959(昭和34)年
4月10日高等学校榴ヶ岡校舎が設置された。
1961(昭和36)年
5月15日75周年記念式典が盛大に挙行された。
1965(昭和40)年
中高校新礼拝堂ならびに新校舎が落成、献堂式が挙行された。
1966(昭和41)年
創立80周年記念式典が盛大に行われた。
1971(昭和46)年
8月、月浦利雄中学・高等学校長退任。9月、中学校・高等学校長に二関敬先生就任。
1973(昭和48)年
7月、元中学校・高等学校長月浦利雄先生が永眠された。
1977(昭和52)年
4月、中学校・高等学校長に田口誠一先生就任。
1978(昭和53)年
6月、宮城県沖地震。
被害が甚しいため、赤レンガの建物は取り壊されることになった。
1980(昭和55)年
3月、シュネーダー記念館落成。
1982(昭和57)年
3月、院長小田忠夫先生が永眠された。4月、情野鉄雄先生が第七代院長に就任された。
1983(昭和58)年
高等学校第二部廃止。
1986(昭和61)年
創立100周年記念式典が盛大に挙行された。
1987(昭和62)年
4月、中学校・高等学校長に宗方司先生就任。
12月、体育館、武道館(100周年記念事業)落成。
1991(平成3)年
4月、中学校・高等学校長に武藤俊男先生就任。
1995(平成7)年
4月、田口誠一先生が第八代院長に就任された。
2002(平成14)年
4月、中学校・高等学校長に出原荘三先生就任。
5月、前中学校・高等学校長武藤俊男先生が永眠された。
2003(平成15)年
4月、倉松功先生が第九代院長に就任された。
2004(平成16)年
4月、中学校・高等学校長に松本芳哉先生就任。
2005(平成17)年
4月、中学校・高等学校が宮城野区小鶴に移転。
2007(平成19)年
4月、中学校・高等学校長に永井英司先生就任。
4月、星宮望先生が第十代院長に就任された。
2013(平成25)年
4月、中学校・高等学校長に大橋邦一先生就任。
2015(平成27)年
4月、佐々木哲夫先生が第十一代院長に就任された。
2019(平成31)年
4月、中学校・高等学校長に阿部恒幸先生就任。
4月、松本宣郎先生が第十二代院長に就任された。
2020(令和2)年
4月、大西晴樹先生が第十三代院長に就任された。